朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)11月25日(水)放送。第9週「炭坑の光」第51話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:新田真三
新次郎、嫁に操を立て過ぎだろ「あさが来た」51話
NHKドラマガイド「連続テレビ小説 あさが来た」Part1 NHK出版

51話は、こんな話


炭坑の労働に対して新制度を導入しようとしたあさ(波瑠)だったが、納屋頭のサトシ(長塚圭史)を中心に賛同しない者も多く、計画はうまく進まない。あさは、学問だけではどうにもならない現実の壁に突き当たってしまう。

新次郎が健気過ぎる


「まだ暗闇ではありますが、朝がやってきました。
炭坑の朝は早いのです。」

まだ暗闇ではありますがーーと淡々とお断りをいれつつ、炭坑労働の大変さを伝えてくれる語り(杉浦圭子)をはじめとして、51話は状況説明の回という感じ。
あさから心情を聞かされた亀助(三宅弘城)が、そのことを、おふゆ(清原果耶)への手紙に書くことで、新次郎(玉木宏)ほか白岡家の人々があさの様子を知ることができるという寸法だ。

ついでに、カズ(富田靖子)と次郎作(山崎銀之丞)までがあさの気持ちをしっかり聞いていた。あんなに近くでカズに見られているのに気づかないわけはないだろうから、あさ、よっぽど、悩みをみんなに聞いてほしかったんだね、たまってたんだね、きっと(そう思っておこう)。
それもこれも、「この世に平等なんかあるか。」と哲学的なことを言う、ひじょうに面倒くさい男・サトシのせい。

あさが炭坑で苦労していることを大阪の人々に伝える亀助の説明手紙には、「船乗り混み」という大阪の夏の風物詩(歌舞伎俳優が江戸や京都から大阪の劇場に入るとき、船に乗りながら、お客さんにアピールする)盛り込むひと手間が、単なる状況説明の方便でなく、亀助の人柄や、ちょっとしたこの時代の様子がわかるものになっている。

さらなる細かい描写は、新次郎が手紙を見ながら「亀助もなかなかやりますな」とからかうように言うと、ふゆが「新次郎さま」とニマニマして、うめ(友近)の視線に気づいて表情を変えるという気まずい場面も盛り込んで、笑わせる。
このときのふゆの表情の変化は絶妙。いまひとつだった泣きの演技からあれよあれよという間に成長しているではないか。

ところで、あさと離れた新次郎は、捨てられた忠犬のように寂しそうだった。これだけの色男で、芸事にも親しんでいるのだから、女遊びも当然やっていそうなものなのに、新次郎はいやに貞操観念だけは強いようだ。
健気過ぎる。むしろ、遊びなはれ、と言いたい。
その合間に、五代友厚(ディーン・フジオカ)は三味線の師匠・美和(野々すみ花)とも知り合ってしまっていた。世間が狭過ぎる!

つまらん


「騙されたらつまらんぞ。」(サトシ)
またでた「つまらん」。
「つまらん」とは九州の方言で「よくない」「だめ」という意味。「おもしろくない」から「だめだ」に転じたとも言われ、どのみち気持ちが収まらないこと。
この「つまらん」を今一度、あさに送りたい。
嫁の仕事より最優先している炭坑までもが、サトシの存在によって暗雲立ちこめている。ここで諦めたら、それこそ、つまらん。あさは困難をどうやって突破するのだろうか。
(木俣冬)

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